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Tシャツの歴史 そのA
こうして、一気に花開いた感のあるTシャツは、
単なる若者達の流行のファッションアイテムから、
スポーツ
ビジネス・社会運動などの分野にも広がりを見せていき、
戦後アメリカのムーヴメントの中心として、世界中にも発信されていくことになりました。
そんな中、日本には1948年にアメリカのカジュアルウェアとして紹介され、
石原慎太郎の小説・および映画作品の「太陽の季節」で
慎太朗刈り、アロハシャツ、サングラスにTシャツ・・という、
劇中の登場人物のファションを真似た太陽族によってTシャツが着られるようになり、
ヒッピーにより1966年ごろから一般に着られるようになりました。
ヒッピーは反社会的反体制的な社会をするため反抗のシンボルであるスーツを否定し、
安くて実用的なTシャツとジーンズを選び、活動を行いました。
ヒッピースタイルによりTシャツには絞り染め、さまざまな色、ストライプといった、
様々なデザイン
が登場することになりました。
アメリカでは、ファッションとしてのTシャツ文化が花開くと、
それに呼応するように、様々な分野でTシャツが利用されていきます。
例えば、大統領選の時には、
大統領候補の名前や、政策などがプリントされたもの、
または、社会主義団体などにおいて、環境保護などのスローガンが
印刷されたTシャツ、
さらには、観光地の名前などが印刷されたプリントTシャツなど、
広告宣伝の分野にも使われました。
この様な広告宣伝の分野で流行ったのは、
コストが低く抑えられる事や、プリントされたTシャツを来て歩くだけでアピールになるので、
その手軽さなどがウケた事によるとされています。
1960年代の自由主義運動の中でも、Tシャツはその運動にかかせないファッションとなり、
また、このころからは「オートクチュール」などのオーダーメイド生産から、
「クレタポルテ」と呼ばれる大量生産方式に切り替わっていき、
さらには、男女の区別も無く、着られるようになっていった「ユニセックス」化によって、
それまで男性が着ていたものが、女性にも着られるようになっていきました。
1960年代のヒッピー達による「愛と平和運動」から、70年代のイギリス・ロンドンを発祥とする、
パンク・カルチャーへのムーヴメントの移り変わりにもTシャツは変わらずにファッションの中心となり続け、
「Tシャツと音楽」の結びつきが、それぞれの流行に深く結びついていたことが分かります。
ロックミュージシャンたちが、そのブームを盛り上げたこともこの時代の大きな特徴となっています。
「反逆」を表す黒はロックミュージシャンやバイカーたちにこよなく愛され、
そのシャツに
プリントされたメッセージも挑戦的で、インパクトのある言葉が選ばれていました。
そんな中、バンドの名前をTシャツにプリントし、
それをコンサート会場で売るいわゆるツアーTシャツが登場することになります。
これは、Tシャツの歴史の中で、
広告・宣伝に使われていったTシャツと、
若者の文化の中心であり続けてきたTシャツを
双方を結びつける大きな流れではないでしょうか。
また、スポーツ界でも人気選手の名前入りTシャツが球場などで売られ始めたのもこの頃の出来事です。
