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Tシャツの歴史 おまけの用語集
アメリカ軍
アメリカ軍が第一次大戦時にヨーロッパに攻め入った際、
フランスで見つけた下着のシャツを、本国アメリカに持ち帰ったのが、
Tシャツが普及するキッカケとなりました。
また、アメリカ国内でも大変重宝され、
ファッションとして昇華していったのも、
当時のアメリカ国内外の社会情勢が大きな役割を果たしてきました。
また、それまで白無地であったTシャツは、アメリカ陸軍によって採用された際、その用途の特殊性から、白無地からカーキ色に変更されたという経緯があります。
現在では、迷彩色などのバリエーションもあり、一般の人が着る様なファッションとしても、常に人気のあるTシャツでもあります。
欲望という名の電車
1951年に公開された映画です。原題はA Streetcar Named Desire
あらすじ〜アルコール中毒で元教師のブランチは、妹のステラを訪ねてニューオーリンズにやって来る。粗末な衣装で上品に振舞うブランチの態度にステラの暴力的な夫スタンリーは我慢できず、事あるごとにステラとブランチに当り散らす。スタンリーのポーカー仲間ミッチは清楚なブランチに惹かれてゆくが、スタンレーは船乗りから聞いたブランチの恥ずべき過去の出来事を暴露して、ブランチを追いつめる。「メソッド」と呼ばれる新しい演技テクニックをハリウッドに導入して、ハリウッドの演技スタイルを根底から変えた、テネシー・ウィリアムズのピューリッツアー賞受賞戯曲の映画化。〜
この作品でセクシーな亭主役を演じた、スタンリー役のマーロン・ブランドが、下着をうまく着こなしていたことは、Tシャツ人気のキッカケとなりました。
理由無き反抗
1955年に公開された映画です。原題はRebel Without a Cause
あらすじ〜 17歳の少年ジム(ジェームズ・ディーン)は泥酔のため、集団暴行事件の容疑者として警察に連行された。彼は、そこで夜間外出で保護を受けた少女ジュディ(ナタリー・ウッド)や、仔犬を射って注意されたプレイトウ少年(サル・ミネオ)と知り合った。3人は説諭の末帰宅を許された。ジムの一家は転居続きで、つい最近この街へ来たばかりだった。彼の父親(ジム・バッカス)は意志薄弱で、家庭は男まさりの母親(アン・ドーラン)が、きりまわしていた。翌朝、新しい学校であるドウスン・ハイ・スクールへ登校の途中、ジムはジュディに会ったが、彼女は不良学生のバズ(コリー・アレン)、ムーズ(ニック・アダムス)、クランチ(F・マゾーラ)等と一緒であった。その日の午後、学生たちはプラネタリウム館へ星の勉強に出掛けたが、不良仲間の反感を買ったジムは彼等のボスのバズに喧嘩を売られた。2人はプラネタリウム館の外でナイフを手に決闘したが守衛の仲裁を受け、その夜“チッキイ・ラン"と称する度胸試しをやることになった。 〜
これは、1950年代のアメリカの不良少年らの様子を描いた映画で、主演のジェームス・ディーンが出世するキッカケにもなった作品です。
この作品でジェームス・ディーンがジーンズと共にTシャツを着ていたことから、前述の「欲望という名の電車」とともに、Tシャツとジーンズというアメリカン・カジュアルを広めることになりました。
ヒッピー
1960年の後半、アメリカとソ連(当時)の冷戦下、社会的閉塞感を覚えたアーティスト達が伝統的な社会・制度などに反発して新しい若者文化と薬物が結びついて発生した一大ムーブメントの名称で、そうした活動に参加・賛同する人たちの事をいったりもします。
自然と愛と平和をこよなく愛し、社会主義的な思想に強く共感するという特徴の他に、薬物による自然回帰をも訴え、社会問題となりました。
その時のファッションが、Tシャツに反戦メッセージや、自然回帰を訴えるスローガンなどをプリントし、
これが大きなムーヴメントとなりました。
日本でもこの頃にヒッピー・ムーヴメントによる、Tシャツなどのファッションが入ってきたものの、
その思想に関心を持つ者はほとんどいませんでした。
現在でもヒッピー・ファッションといわれるジャンルがありますが、このムーヴメントがその起源となっています。(なんだか、服をボロく?着こなすのがヒッピー・スタイルというのらしい・・。)
ユニセックス
男女どちらでも着られる衣服、およびそれを身につけるファッションのことです。
Tシャツは、元々は男性用の下着として着られたもので、
1960年代あたりから、女性にも着られるようになりました。
その様な意味で、Tシャツは、ユニセックスの代表格ではないのでしょうか?
